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琴葉

Author:琴葉
2014年3月、突然夫が脳幹出血で倒れ、遷延性意識障害に。
また取り戻したい、夫婦の幸せな時間・・・
在宅を目指す日々や届いたメッセージを綴ります。

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~先のことは考えない~ 在宅介護生活目指して・・・時々神さまからのメッセージ
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指談について思うこと
昨日、今日と第26回日本意識障害者学会に行ってきました。
初めての参加でしたが、素敵な出会いもあり、リハビリや栄養管理、嚥下、在宅医療、看護ケアなど
今の私にとって関心の高い演題を拝聴でき、とても有意義な2日間でした。

なかでも私の印象に強く残った出来事の一つが、一日目の終わりに参加した懇親会の席上でおこりました。

この学会には、脳神経外科教授をはじめとする医師、医療関係者、医療従事者、日本脳神経看護研究学会
会員、患者、家族、一般、学生(医療関係)、厚労省の方、NASVA(独立行政法人自動車事故対策機構)の方
沢山の方が参加されていらっしゃり、懇親会も盛況でした。

直接存じ上げないけど、NHKドキュメンタリーを見てから尊敬申し上げている、
つくば大学名誉教授の紙屋克子先生、藤田保険衛生大学医学部脳神経外科教授
加藤庸子先生もいらっしゃりました。

そんな中、遷延性意識障害者の中嶋基樹さんが挨拶されたのです。
主催側からの突然のご指名でした。
基樹さんはお話しされないので、お母様とご親戚の方(交代されながら)の指だんを通しての
ご挨拶でした。

皆さん当然のようにご挨拶に聞き入り、拍手が鳴り響きました。
また、終わられてから、基樹さんの周りに何人も集まり、お母様やご親戚の方の指だん通訳で
沢山会話されて盛り上がっていたのです。

私はこんな光景が目の前で展開するなんて、なんて開かれているのだろうと灌漑深かったのです。
医師が、医療従事者が、障害者を持つ家族が、指だんでのコミュニケーションを交えて
談笑されている。

そこには非難めいた眼差しはありませんでした。
紙屋先生も加藤先生も談笑されていらっしゃいました。
指だんでコミュニケーションをされていることに否定的な方もいらっしゃったでしょう。

指だんもコミュニケーションの一つの形として受け入れていらっしゃる、医師や医療従事者の方々、
それをご覧になっていたそうでない方々、それぞれご自身の価値観の立ち位置でいらっしゃって、
和やかでした。

私は、これが自然だと感じました。

山元加津子さん、かっこちゃんのFacebookに指だんについてコメントが載っていました。

それについて、指だんを利用するかどうか、それは自分が考慮してくだした判断、
その責任は自分にあるのは当然ではないかと思いました。
全ては強制や強要されるものではなく、判断材料は沢山あり、自分で考慮して、
自分の意志で決定すればよいのです。

どうして指だんをコミュニケーションのひとつにするかについては、例えば
現時点で全てが解明されているということを絶対的条件としないなど
理由は人それぞれでしょう。

コメントされた方が指摘していらっしゃることも普通に考慮するでしょう。

世の中は、世界は広い、価値観も多種多様、人の体験も多種多様、科学者や医者だって
科学で証明できないことに対していろんな見解をお持ちでいらっしゃいます。
例えば、人間の神秘、宇宙の神秘、サムシンググレートの信憑性・・・ ・・・ ・・・
今の科学で全ての解明ができない、白黒つけれないことであっても、それをどう考えるか、
どう取り入れるかは自分次第。

自分の経験値、価値観だけではなく、いろんなものの見方、判断基準もあると思います。

指だんについて利用するというのなら、その価値観、その判断、それによって経験されること、
すべてその人の責任においてお任せすればいかがでしょう。

余談ですが、私の親は仏教徒です。
仏教においていろんな法要があり、
亡くなってから49日間を中陰と呼びます。

この間、七日ごとに閻魔大王の裁きが行われ、極楽浄土に行けるかどうかの
判定が下されるのが四十九日目で、この日が忌明けとされています。
故人が極楽浄土に行くことができるように七日ごとの裁きに合わせて
故人のために善を足す法要(追善法要)を行い、故人が成仏できるように祈ります。

なんの疑いもなく法要を行いますが、見方をかえれば
突っ込みどころ満載ではないですか(#^^#)?














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